活躍の原石は自分で見つけたい
退職を関係各所に伝えて回ったところ、ある方から「活躍の場を与えてあげられなかったのが残念でならない…」とお言葉を頂きました。せっかく頂いたお言葉なのに申し訳無いのですが、「活躍の場」という言葉に違和感を持ったので、もう少し考えてみたいと思います。
活躍の場は本当に与えられていなかったのか
5年ほど在籍していましたが、活躍できそうなプロジェクトには参画できていたと感じています。 新しい技術や進め方を用いたプロジェクトにいたこともありましたし、動かす金額が大きいプロジェクトにも参画していました(いずれもトラブルで結果には紐づかなかったのですが)
社内向けに新しい企画を発案して運営することもやらせてもらってました。
進める上で課題に気づいてしまったので自分からやめる決断をしましたが、チャンスとしては十分すぎるほどあったと思います。
活躍することは幸せなのか
今の会社では半年に1度、個人やプロジェクト単位で成果をあげた人が表彰される機会があります。仮に表彰されるレベルで結果を残したなら、こんなことが起こるのではないかと思います。
- 給料アップ
- 社内で表彰されてすごい人のレッテルが貼られる
給料に関してはわかりやすいですよね。これは大体の方が嬉しいので言及しません。
問題は後者で、社内で表彰されたり評価されるのって嬉しいものでしょうか。頑張った結果を認めて欲しいと言う気持ちは分かるのですが、あくまで社内評価なんですよね。
私はSIer勤めなので顧客先勤務が大半です。そうすると表彰された方がどんな仕事をしているのかわからないですし、そもそも勤務先のお客さまがどんな事業をしているかもわからないので、ビジネスインパクトも良くわかりません。表彰された人がどんな環境下で考えて行動し、結果を出したから表彰されているのが全くイメージできないんですよね。
そう考えると、社内で評価されるのは嬉しいことですが、そこまで喜ばしいことでもない気がしています。
少なくとも私は、社内で表彰されることより、システムを直接使った人から感謝の言葉をもらえるほうがよっぽどうれしいですし、価値があるように感じています。
活躍の場は誰かに提供してもらうものなのか
確かに社内の有名な人を見てみると、何かのプロジェクトや技術をきっかけに駆け上がった人が多い気がします。
しかしそれは、その時やらなければならない仕事とその人のスキルや興味がマッチした結果だと思うのですよね。
活躍の場とはいうものの、その仕事が後々褒められるものになるかは当人の仕事ぶりと結果次第で、事前にわかるものではないと思います。
そう思うと、私に向けられた言葉の意味は「活躍の場が与えられなかった」ではなくて「スキルや興味に合う仕事を与えることができなかった」ということだと思います。
(もちろん興味のある仕事だけを振れるわけないと思いますので、ここで言いたいのはただ何となく仕事を振るのではなく当人の将来も考えて仕事を与えるべきではないか?というお話です)
活躍の原石は自分で見つけたい
活躍の場は最初から存在しませんし、成功したら功績となるような仕事でも外部要因で中断することだってあります。
そう考えると、いち社員としては活躍の場が向こうからやってくるのをただ待つのではなく、自分のやりたい事やスキルは把握したうえで、自分からパフォーマンスを発揮できる(=活躍に近づける)場所に移動していく方が自分の人生をちゃんと自分で決めている感じがして人生楽しそうだなーと思いました。
個人的な意見が長くなりましたが、同じようにもやもやしている方の参考になればと思います。